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願望に生きた偉人① クレオパトラ


国の存続と恋に生きた女

   古代エジプト最後の女王クレオパトラは、伝統あるエジプト王朝の独立を守るという願望と恋に生きた女性である。彼女は教養があり、語学に堪能だった。彼女は当時の地中海周辺の国々の言葉はすべて話せたという。また、人を惹きつける話術にも長けていた。古代ローマの歴史家ディオン・カッシオス曰く、「彼女が口を開くと、誰も抵抗できなかった」と絶賛している。
 
 クレオパトラはエジプトを守る人生の中で、王家の尊厳、知性、語学力、話術といった自分の持てる魅力の全てを駆使して大国ローマの実力者と渡り合ってゆくことになる。
 
 クレオパトラは紀元前51年、18歳でエジプト・プトレマイオス朝(王家はギリシャ人)の女王となる。当時はローマが地中海周辺を征服し強大な勢力を誇っていた。エジプトは度重なる王家の失政で衰退し、地中海東部の領土を失うとともに、ローマの脅威に晒され続けていた。国内では王家の権威が失墜し、支配下の土着エジプト人の反乱が頻発していた。
 
 クレオパトラは、国内の安定化に手腕を発揮したと伝えられている。新たな宗教政策で土着エジプト人の不満を抑えたり、ナイル川周辺で収穫される豊富な穀物の輸出促進策を実行して財政の立て直しを図った。一方対外的には、ローマとの同盟関係がエジプトを存続させる唯一の道と考え、彼女はローマの実力者を自分のサポーターにすることに人生をかける。 
 
 即位当時のクレオパトラは、自分の父と仲が良かったローマ元老院派の実力者ポンペイウスを頼った。当時ポンペイウスは同じくローマの実力者カエサルと対立し、内戦を起こしていた。ポンペイウスの使者として、彼の息子が支援を乞うためにエジプトを訪れた際、彼女はポンペイウスへの多大な支援を引き受けるとともに、彼の息子の愛人になったという。
 
 しかし、ポンペイウスは戦に敗れる。エジプトに逃げた彼はエジプト王家の下臣に見限れられ、殺害されてしまう。紀元前48年、ポンペイウスを追ってカエサルがエジプトにやってくる。当時、エジプトではクレオパトラと弟プトレマイオス13世の間に内紛が起こっていた。 
 
 カエサルは、エジプトがポンペイウスを支援していたこと、助けを求めたポンペイウスを卑怯にも殺害したことの両方に腹を立てたが、それを許しエジプトで起きていた内紛の仲介役を買って出る。
 
 カエサルはクレオパトラとプトレマイオス13世をエジプトの首都アレクサンドリアへ召喚する。弟による暗殺を恐れたクレオパトラは、ある夜、自身を貢ぎ物の絨毯に巻いてカエサルのもとに届けさせたという。絨毯の中から現れたクレオパトラにカエサルは驚き、その機知に感心したという。
 
 クレオパトラは自身の思いを次の言葉でカエサルに伝えたという。「私はエジプト。エジプトの魂(神)が私を導き、支配する」。数千年に渡って、神が支配してきたエジプトの歴史と伝統を背負った自分が、今ここに存在することをローマの最高実力者に宣言した言葉だ。
 
 語学に堪能なクレオパトラは、カエサルとエジプトの今後について直に話し合った。カエサルはクレオパトラの知性と尊厳ある話しぶりに触れ、すっかり彼女の魅力の虜になってしまう。その晩のうちに二人は恋に落ち、結ばれる。クレオパトラはどうにかサポーターの乗り換えに成功する。
 
 その後、カエサルは自身に戦いを挑んできたプトレマイオス13世を海戦で破り、プトレマイオス13世は戦死する。こうして、クレオパトラはカエサルの庇護のもと、女王として再びエジプトを統治することになる。しかし、紀元前44年、ローマでカエサルが暗殺される。
 
 ローマはカエサルを暗殺したプルータスら共和派と、アントニウスら三頭政治派に分裂した。クレオパトラはエジプトに駐留していたローマ軍が共和派に通じたため、不本意ながら共和派を支援する。しかし、紀元前42年フィリッピの戦いで共和派がアントニウスに破れ窮地に陥る。
 
 アントニウスは共和派への支援を糾弾しようとクレオパトラに出頭を命じる。彼女は女神アフロディーテ風の衣装に身を包み、香を焚いてムードを作って出頭した。さらにアントニウスを自ら用意した豪華な宴席へ招待するなどし、瞬く間にその演出と話術でアントニウスを魅了したといわれる。そして、二人はすぐに恋に落ちる。
 
 その後二人は深く愛し合い、正式に夫婦となる。クレオパトラはローマのサポーターを再び手に入れる。アントニウスはエジプトが失っていた全領土を約十年で征服し、ほとんどを彼女に譲渡する。クレオパトラはここに絶頂期を迎える。しかし、エジプトに肩入れするアントニウスへのローマ市民の反発が増し、遂に市民の支持を得たオクタビアヌス(後に初代ローマ皇帝となる)がエジプトに宣戦布告する。
 
 紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍はオクタビアヌスに破れ、アレクサンドリアに逃げ帰る。翌年、アントニウスは自殺し、クレオパトラは追ってきたオクタビアヌスに囚われる。自らの知性と魅力でローマと渡り合ってきたクレオパトラの命運はここで尽きる。 
 
 オクタビアヌスは、カエサルやアントニウスのような敗者に対する寛容さを持たず、非常に冷淡な人間だった。彼はクレオパトラをローマで凱旋式の晒し者にしようとするが、彼女はそれを拒否しローマへの移送直前に自殺する。ここにエジプト王朝が滅亡する。 
 
 エジプトの滅亡を確信した彼女の最後の望みは、愛するアントニウスに会うことだった。彼女はアントニウスと一緒に葬って欲しいと遺言を残し自殺する。オクタビアヌスは最後まで自分に屈しなかった女王の立派な態度に感服し、彼女の亡骸を遺言の通りアントニウスの傍に葬ったという。
 



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